仏教質問箱布教誌『宝塔』に連載中の「仏教質問箱」より
塔婆の歴史と由来
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塔婆は梵語(サンスクリット)でスッ-パと云い、中国でこれを音訳して卆塔婆(そとうば)、略して塔婆となりました。 古代印度では、塔をつくることが貴人を埋葬する法だったので、釈尊御入滅後にその御遺骨を(仏舎利)を八所に分けて埋葬し、それぞれに塔を建てたと伝えられています。
今から約二千二百年前、印度の阿育王が釈尊の生誕地、成道の地、転法輪の地、涅槃の地などをはじめ領内各所に八万四千の宝塔を建立したと云う話は有名であります。
東南アジア各国に見られるパゴダとか、中国と日本等に見られる二重、三重、五重、多重などの塔もその一種であります。
天平時代に孝謙天皇が、恵美押勝(えみのおしかつ)の乱を平定して後、御願を以て百万小塔の造営を始められ、七年後に完成、これを当時の十大寺に分納されました。今は法隆寺にだけ約四万基が残っています。
高さ四寸五分(十三センチ強)、基の径三寸五分(十センチ)、露盤の下に孔があって、陀羅尼が収めてあります。一千基ごとに七重の塔、十万基ごとに十三重の塔がつくられたと伝えられています。その中の完備したもの約百基が国宝とされています。
日本で最も古い法隆寺の塔をはじめ、各地に五重の塔が建てられました。五重の塔は、別名五輪の塔と云います。この「輪」とは欠けたところが無い、万徳円満の意味を表現しています。
塔婆の上部のキザミはこの五輪を意味しています。