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仏教質問箱布教誌『宝塔』に連載中の「仏教質問箱」より

長者窮子の喩

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  或る人が幼少のとき父を捨てて逃亡し、他国に流浪し、五十歳になった。しかしますます困窮して、四方に衣食の資を求めつつ、流浪して本国にかえってきた。その時、父の長者は大城に居住し、家は大きく、財宝無量で、金銀瑠璃等の七つの宝で、倉庫は充満していた。下僕や使人・家来も多数で、象や馬・車乗・牛・羊等も無数であった。そして他国にまでも資金を貸し、莫大な利息が入り、商人の出入りもはげしく、このように長者は富裕であった。しかし家には子供がなく、幼少のとき家を捨てた子供のことを思っていたが、しかし誰にもそのことを明きなかった。自ら思惟して、「私は老朽し、多く財物がある。金銀宝物は倉庫にあふれているが、しかし子供がない。自分が死んでしまえば財物は散失し、委付するところもない」と考え、深く子供のことを思っていた。

 そのとき窮子は、ひとに雇われ、賃仕事で辛して生活しつつ、家々をへて、ついに父の門前に立った。はるかに長者を見ると、彼は立派な椅子により、多くの人びとにかしずかれ、大王の如くに威厳があったので、窮子はそれを見て怖れをいだき、こういう大家にきたことを後悔し、そこから逃走した。父は一目でそれがわが子であることを知って、使者をつかわして彼を捉えしめた。しかし窮子は驚き怖れ、怨家に捉えられた如く思い、怖れのあまり悶絶し、地に倒れた。長者は窮子がながく貧窮の生活をしていて、品性が下劣になっているのを知り、無理にわが子であることを明さず、徐々に高い志性に誘引せんとした。最初は卑しい仕事を与えた。はじめは糞土を除く仕事を与え、十分に賃金を与え、方便をもうけて彼に近づき、語りかけ、順次に高等の仕事を与え、高い賃金を給し、重要な仕事をまかせ、自らの子供の如くに遇した。窮子はこの長者の処遇を喜んだが、しかし彼の下劣な心はなお捨てきれず、自己を卑しい使用人と思っていた。

 しかし長年をへて、長者は病気になり、久しからずして死すべきことを知って、窮子に家業の一切をまかせ、汝とわれとは一体であると語った。窮子は命令により、家業の一切をとりしきり、宝物の満てる庫蔵を管理したが、しかしなおかつそれらを自己の物と思わず、自己と長者とを区別し、下劣の心を捨てることができなかった。しかし家業を統理するに慣れるにつれ、窮子の心はゆったりとし、大志を成就し、さきの自己の下劣の心をいやしむようになった。そこで長者はいよいよ臨終のとき、親族や国王・大臣・知人等を集めた。これが自己の真の子供であることを明した。このように長者は苦心して、下劣の心に染まった窮子を誘引して、漸々に高貴な志性に導き、最後には自己の子であることを打ちあけた。

 この大富の長者とは如来であり、下劣の心をいだいた窮子とは阿羅漢果に満足していた声聞たちである。彼等は、自己が真の仏子であることを知らず、大乗において求める心をおこさなかった。如来は彼等に仏子であるとの心をおこさしめるために、種々に善巧方便し、最後には、法王の大宝、仏子の得べき所のものを皆すべて得さしめたのである。  

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