仏教質問箱布教誌『宝塔』に連載中の「仏教質問箱」より
大聖人のお綿帽子をおつけするのは、 いつからいつまでが正しいのですか。
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ご宝前で両手をあせてそっと見上げたとき、大聖人の「こうべ」が「綿帽子」に包まれているのに気付かれると思います。この「綿帽子」は今から七百年前の出来事に始まります。
かねてより大聖人をお招きしたいと思っていた工藤左近将監吉隆は、大聖人の母の病に帰郷されていたのを機に懇願されました。それに応ぜられ、文永元年(一二六四年)十一月十一日華房の蓮華寺を未の刻(午後三時頃)に天津の工藤家に向かって十人程の人数で旅立たれました。およそ、二時間後の申の刻、大聖人の一行は小松原にさしかかりました。かつて、大聖人が清澄山でなさった「法華経以外救う道なし」という立教開宗のご説法以来の法敵ともいうべき、地頭東条景信(熱心な念仏信者)の数百人の一団に三方より囲まれました。
この時、眉間に三寸のキズを負われ、秋冬寒冷の時に痛まれたことにより、綿をもって保護されました。のちに十月のお会式より翌年春彼岸または四月初旬まで、綿帽子をかぶせ奉ります。