仏教質問箱布教誌『宝塔』に連載中の「仏教質問箱」より
葬儀の時、神棚の前に半紙を貼るのはなぜ?
椿澤日壽
古代の人々は自然の猛威を恐れて、火・水・木・岩・山・海・川・日・月・星などを神として祀ったり、部族の繁栄を願って祖霊を神として祀り、穀物や塩や海草、鳥や魚などを捧げた。
日本でも部族集団が成立すると同時に、部族による「神事」が集団で行なわれるようになり、部族全体の繁栄や幸福、豊作や豊漁や安全などが祈願され、個人の願いを祈ることはなかった。母系制であったので、地域全体が一つの族であり、「神事」は部族全体の大切な行事であり、他の部族の者は排除された。
奈良時代(四世紀)、仏教が伝来した後も「仏事」とは別に、「神事」は続けられ、地域の神事は形態を多様化し、村祭りへと発展し排他性も少くなり、祭りの世俗化が進み、また個人の幸せや安全を祈願するようになっていった。なお三世紀以降は部族の宗教的権威による国が成立し、国家権力による政治と神事が一体化した形が成立していった。現在でも皇室にはこの形式が伝えられている。
一方で仏教は、奈良時代には鎮護国家(国の繁栄と安泰を祈ること)を祈る法として受け入れられ、平安時代に入ると個人の来世観にも影響を与え、個人の幸せを祈るようになり、鎌倉時代以降は庶民の間にも広く広まり、「仏事」が営まれて行き、往生・成仏という人間の生き方に深くかかわる宗教へと発展して行った。
律令制度が整った十世紀に入ると、政治と神事が国の統治にかかわる行事として定着し、国が神事を行なう時には他の宗教の霊力や、魔霊にわずらわされないようにと、神事と仏事が避けあうように定められた。これが延長五年(九二七年)に成立した「延喜式」である。この「延喜式」が葬儀の時に神棚の前に半紙を張り仏事を神から見えないようにした根拠である。
神は不浄をきらうから半紙で神を見えないようにするという説もあるが根拠はない。神事で鳥や魚を供えることからも、遺体が不浄だという見方は俗説であろう。