仏教質問箱布教誌『宝塔』に連載中の「仏教質問箱」より
「娑婆(しゃば)」とはどういう意味ですか?
布教研究所助手・谷中本通寺裡 田邉尚志
娑婆(しゃば)という語は、サンスクリット語(梵語)で「忍ぶ」を意味するサハーを音写(おんしや)したもので、我々が住む世界を指します。「忍土(にんど)」「堪忍土(かんにんど)」「忍界(にんがい)」とも訳されるこの世界は、生老病死(しょうろうびょうし)・人間関係・さまざまな欲望など、苦悩に耐えていかなければならない世界であるという意味があります。
日蓮大聖人の時代に流行していた法然(ほうねん)の浄土宗(じょうどしゅう)では、この娑婆世界は仏道修行にはふさわしくない穢(けが)れた世界であるとして、「厭離穢土欣求浄土(おんりえどこんぐじょうど)」を標榜(ひょうぼう)し、死後には阿弥陀如来(あみだにょらい)の西方極楽(さいほうごくらく)浄土に生まれることを願っていました。 しかし『法華経(ほけきょう)』の寿量品(じゅりょうほん)には、本仏釈尊(ほんぶつしゃくそん)がはるか昔から娑婆世界の人々を説法教化してこられ、我々凡夫(ぼんぶ)の目から見れば苦しみ多きこの世界も、仏さまの目からみれば天人常充満(てんにんじょうじゅうまん)の安穏(あんのん)なる浄土であることが説かれており、それゆえ大聖人は「本地久成(ほんじくじょう)の円仏(えんぶつ)は此(ご)の世界に在(ざい)せり。此(こ)の土(ど)を捨てて何(いず)れの土を願うべきや。故に法華経修行の者の所住(しょじゅう)の処(ところ)を浄土と思うべし。何ぞ煩(わずら)わしく他処(たしょ)を求めんや」と、現実の娑婆世界重視し、「汝(なんじ)早く信仰の寸心(すんしん)を改めて速(すみ)やかに実乗(じつじょう)の一善(いちぜん)に帰(き)せよ。然(しか)れば則(すなわ)ち三界(さんがい)は皆仏国(みなぶっこく)なり」と、仏国土実現を目指(めざ)すのです。
争いや悩み多き穢土の娑婆世界が仏の安楽の浄土であるとは、我々凡夫(ぼんぶ)には俄(にわか)に信じ難いことですが、大聖人は「衆生の心けがるれば土もけがれ、心清ければ土も清しとて、浄土と云(い)ひ穢土と云ふも土に二つの隔(へだ)てなし」と、この世界が浄土と映るか穢土と映るかは我々の心の在り方によるものであるとします。我々は無明(むみょう)という迷いによってその心を移(うつ)ろわせ、善行も悪行もします。迷いがなければ悟ることもありませんが、しかしこの無明はいわば磨(みが)かない鏡であって、それ故我々は心から法華経を信じ、お題目を唱えることによって、よく映る鏡すなわち仏の心へと近づく努力をしなければならないと、大聖人はお説きになられるのです。