仏教質問箱布教誌『宝塔』に連載中の「仏教質問箱」より
鬼子母神さまについて
布教研究所所員・鶴岡 本鏡寺住職 藤本典行
日蓮門下のお寺に行きますと、たいていは鬼子母神さまがおまつりしてあります。
姿は、宝冠をかぶって、中国風の衣服をきた貴婦人風であり、右手に吉祥果(ざくろ)をもち、左手で子供を抱いています。そのお顔はといいますと、鬼のような怖いお顔と、慈愛にみちたやさしいお顔と、二つのお顔があります。やさしいお顔は、子育てに専念している鬼子母神の姿であり、怖いお顔は、法華経の行者を魔から守ろうという降魔調伏という目的を持った鬼子母神なのです。
それでは、鬼子母神とはそもそもどういう神さまなのでしょうか、由来と意味について説明します。
鬼子母神の元の字は、サンスクリット語で訶梨帝母と音写されました。鬼神王般闍迦(パーンチカ)の妻で、子供が一万とも一千とも五百ともいわれています。この訶梨帝母は、王舎城に来て、次から次と子供を捕まえて食べていました。ある時お釈迦さまに、村の人々が訶梨帝母のことを訴えました。お釈迦さまは、たくさんいる訶梨帝母の子供の一人を訶梨帝母の目の届かないところに隠しました。すると訶梨帝母は、気が狂ったようになって子供を捜しましたが、見つかりません。ついに、お釈迦さまを訪ねて、訶梨帝母は子供を捜していただくようにお願いしました。そこで、お釈迦さまは、子供を隠したことの理由と、訶梨帝母への諭しのお説教をしてくださいました。訶梨帝母は、お釈迦さまのお話を聞いて改心し、以後法華経の行者ならびに多くの子供たちをお守りすることを誓われました。
法華経の陀羅尼品第二十六には次のように説かれています。「是の十羅刹女は、鬼子母、並びに其の子、及び眷属と倶に仏所に詣でて、同声に仏に曰して言さく、『世尊よ、我等、亦、法華経を読誦し受持せん者を擁護して、其の衰患を除かんと欲す。もし、法師の短を伺い求むる者ありとも、便を得ざらしめん』」(解釈-これらの十の羅刹女たちは、鬼子母とその子供、それにお供のものたちと一緒に仏のところに行き、声をそろえて仏に申し上げた。「世尊よ、私たちもまた、法華経を読誦し、受けたもつ者を守護して、彼らの衰えと患いとを取除きたいと思います。もし法師のすきをうかがい求めていろものがいても、そのすきにつけこむことができないようにしましょう」) なお、十羅刹女は鬼子母神の子供であるともいわれております。しかし、鎌倉末期になって母子から離れて鬼子母神一尊が単独に崇敬されるようになったといわれています。また、鬼子母神では、東京の雑司が谷、また入谷の鬼子母神が有名です。