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仏教質問箱布教誌『宝塔』に連載中の「仏教質問箱」より

「合掌」について教えてください

藤本典行

 合掌とは、印度において、神聖な右手と、不浄な左手を合わせて礼拝することを意味しています。この浄、不浄の両手を合わせるという行為の背後には、仏教でいう「円融」という教えが控えています。円融とは、簡単に言い替えると「平等」という事です。私達はとかく不浄な物を嫌い、浄い物を良しとします。この事を仏教では、「差別」といい、身勝手な考え方とみています。すなわち、不浄を軽蔑し"切りすてる"という考え方を一番戒めるのです。たとえば、蓮は泥の中から生育し、美しい花を咲かせます。私達の住んでいる裟婆世界は、汚れ、苦しみに満ち満ちています。いわゆる忍界です。だからこそ、修行の場であると、日蓮大聖人さまは説かれておられます。しかし、よくよく考えてみると、苦しみがあるからこそ、その苦難を乗り越えた後の楽しみがひとしおのものとなるのです。

 不浄があるから、浄となろうと努力するのです。私達の心の中に「地獄、餓鬼、畜生、修羅」の心があるから、それを戒しめ「菩薩、仏」になろうと努力するのです。全て物は良し悪しの二つがあって、一つとなっています。そして全ての人には「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天上、声聞、縁覚、菩薩、仏」の十種の心がそなわっています。そこで始めて、平等という意味が表わされるのです。「私もあなたも同じですね。」「いっしょに仏の道を歩んで行きましょう。」というのが、合掌の意味でありましょう。古い歌に次のようなものがあります。

 「右はとけ、左衆生と合わす手のうちぞゆかしき、南無のひと声」

 仏(=浄=右手)と衆生(=不浄=左手)が二つ合わさって、一つとなるのが合掌であります。法華経の「合掌向仏」のように、私達の目標である仏さまに心の中で会いし、自らを問いかけていくことに合掌の意味があります。

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