日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より解説者の役職・所属寺院名などは掲載当時のもの
今生の悦びは夢の中の夢霊山浄土の悦びこそ実の悦びなれ
解説:学林教授・大久保 本修寺住職 田中 靖隆
「今の世の悦びは夢の中の出来事と同じであやふやで頼りないものであり、霊山浄土に行く悦びこそ真実の悦びなのです」
今月のお言葉は、駿河国の信者、松野氏へ宛てられたお手紙の一節です。この前文にこんな一文があります。
今生の苦さへかなしし、況や来世の苦をや
「今の世でも悲しいほど苦しい、まして来世はもっと苦しいかもしれない。だから一生懸命お題目を唱となえるのです」
このお手紙の書かれた時代は大地震・大風・疫病・飢饉に次々見まわれ、多くの人命が失われます。また内乱や蒙古の襲来もあり、日本国中が荒れていました。人々の生きる苦しみはどんなに深かったことでしょう。次々と降りかかる天災、他国から侵攻の前に人間は無力です。どうしようもないことに身を任せるしかない辛さ・無力感を松野氏が感じ、その気持を大聖人が和らげようと励ましたのかと想像しています。
今の世にも自分の力ではどうしようもないことに身をゆだね、我慢するしかないことがたくさんあります。私もそうです。そのような時に流れに逆らおうとすると、自分も傷つき、思うほど事態も好転しません。「南無妙法蓮華経」と唱えて流れに身を任せてみると、事態は変わっていなくても、ある時不思議と気持がフッと楽になると信じています。
また松野氏は「大聖人が唱えるお題目の功徳と我々が唱えるお題目の功徳とでは、どのような差があるのでしょうか?」とも問われています。これに、「少しの差もありません。愚かな人が持つお金と賢い人の持つお金に差がないのと同様です。ただ余念なく信じる心が大切なのです」と、信じお任せする気持が心の安らぎ、つまりは霊山浄土への道なのだとお示しになっています。