日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より解説者の役職・所属寺院名などは掲載当時のもの
天晴ぬれば地明らかなり 法華を識る者は世法を得べき歟
出展:観心本尊抄(昭定七二〇)
解説:学林助教授・岡崎 長福寺住職 牧野真海
今月の言葉は法華宗おつとめ要典に載っています。
この聖訓は『本尊抄(ほんぞんしょう)』の最終部分にあたり、さらに一念三千(いちねんさんぜん)を識(し)らざる者には、仏大慈悲(ほとけだいじひ)を起(おこ)して五字の内に此(こ)の珠(たま)を裹(つつ)み、末代幼稚(まつだいようち)の頸(くび)に懸(か)けさしめたもう」と結びの段につながります。
概訳(がいやく)すれば、「天が晴れれば大地も明るくなるように、法華経(ほけきょう)の根本義(こんぽんぎ)(一念三千)を理解する者は世の中の仕組みや出来事の由来を知ることができる。しかし一念三千を識(し)らない、末法(まっぽう)の時代に生きる私たち凡夫(ぼんぶ)にも、仏さまは大慈悲の心から「妙法蓮華経」の題目(だいもく)を宝珠(ほうじゅ)に包んで、すべての人の首にかけてくださるのである」となりましょうか。
法華経という経典(きょうてん)を細部まで理解できる人はたしかに立派です。しかし現実にすべてを完壁(かんぺき)にマスターすることは至難(しなん)のわざです。そこで仏さまはお題目の五字にすべての教えのエッセンスを注ぎ込んだ宝珠をつくり、私たちに与えて下さったのです。
ふだん、私たちはなかなかその真実に気づくことはできません。しかし、神や仏などあるものか…とおもっている人にも仏さまはあまねく慈悲の光をふりそそいでおられます。だからこそ、そのことに気づくために、私たちはお題目を唱(とな)えるのです。