日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より解説者の役職・所属寺院名などは掲載当時のもの
仏になり候事は 凡夫は志ざしと申す文字を心えて仏になり候なり
出展:事理供養御書(昭定一二六二頁)
解説:学林教授・中原本門寺住職 光林孝玄
雪を食として命を継ぎ、簑を着て世を過ごす
人里離れた身延の山中で門下を養成されていた大聖人を取り巻く環境は、大変過酷なものでありました。
各地の檀越(だんのつ)たちは頻(しき)りに足を運ばれ、食糧や金員衣類などのご供養の品を届けて、大聖人、ならびに門下を守ろうと懸命だったことが知られます。
今月のこ聖訓は大聖人のもとへ寄せられたご供養に対する謝意を表されたお手紙からの一節で、本書の次の行に、「志」について、
ただ一つきて候ふ衣を法華経にまいらせ候ふが身の皮をはぐにて候ぞ。-大聖人
と、真心をこめてみ仏に手向けるご供養志には、自身の命が宿っており、故にその志は、古(いにしえ)の求道(ぐどう)者たちが捨身の志を仏道に捧げてきたのと同様、み仏の命を養うに等しい甚大(じんだい)な功徳(くどく)があることを教えられています。
雪山童子が鬼の前に身を投げ、薬法梵志が身の皮骨髄を捧げ…。
古の聖者賢人たちが、ひたすら無上道を求め、二つとない一身一命をみ仏に捧げた苦難の絵巻物には、懦夫(だふ)をも立たしむる志の尊(とうと)さを胸に深く刻むものであります。
私たち一人ひとりが尊き生命をいただいたことに自覚し、誠(まこと)なる信心を大切に育んで行くところに仏道の大事がございます。
真心を惜しみなく手向(たむ)ける「志」を「南無」と申します。
一心欲見仏不自惜身命 時我及衆僧倶出霊鷲山・・・・法華経