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日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より解説者の役職・所属寺院名などは掲載当時のもの

池は汚けれども 蓮は清浄也

解説:学林教授・中原  本門寺住職 光林 孝玄

池は汚けれども 蓮は清浄也

 どろいけの中にあっても、その不浄に染まることなく、うるわしさをほこる蓮華は、しょうじょうなる如来の世界を象徴しております。

 日蓮大聖人が駿するの西山郷のとう・後家尼に語られた御聖句には、次のようにつづられます。

 「汚れた袋に包まれていようと黄金の価値は変わらず、でいの中にあっても蓮華の花が清浄なるように、『法華経』は、いかなるじょくにまみれたれつあくな環境の中においても、一切の生命に光輝を注ぎ続ける、みほとけからおくられた宝である。この宝をしっかりと抱いているならば、ぼんの身も、本仏釈尊のお悟り・智慧・大慈悲の中に必ず救われよう」(趣意)と。

 自己本位の生き方は、時に、取り返しのつかない事態を招き寄せるように思われます。それは人のもつぼんのう性に由来するものでありましょう。

 私たちは、法華経の信心に生き、人として大切なけんきょさや、素直さ、他者に対するいとおしさといった本来の感受性を大切にしていかなければなりません。

 たとえこんめいの時代が到来し、人々の心がかわいて、さつばつとした状況が目の前に現れたとしても、それに染まることなく、正しくきよらかな信心を貫き通していきたいものです。そのような生き方は、一人ひとりの人生に、そして社会全体に、美しく、かんばしく、大輪の華を咲かせるものであります。

 世間の法に染まらざること、
 蓮華の水にあるが如し。
 (法華経・じゆうじゆつぽん

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