日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より解説者の役職・所属寺院名などは掲載当時のもの
当世日本国に第一に富める者は日蓮になるべし命は法華経にたてまつる
解説:学林教授・大久保 本修寺住職 田中 靖隆
今の日本で一番の幸せ者は日蓮でしょう この命は法華経にささげます
今月のお言葉は有名な『開目抄』からのお言葉です。文永八年(一二七一)日蓮大聖人の処刑に失敗した幕府は、大聖人を佐渡へ流る罪ざいとします。この御書は、極寒の佐渡の死体置き場で蓑をかぶって寒さと飢えをしのぎながらお書きになったものです。
これは、檀信徒にむけて〝開目〟つまり目を開きなさい、というメッセージです、という見方があります。しかし、私は大聖人がご自身の目の前が明るくなった、という意味にも取れる気がしてならないのです。
法華経の中で諸天などの守護神は、法華経の行者が迫害に遭った際には助けに来る、と仏さまに誓いを立てています。大聖人は自分がこれほどの迫害に遭っても助けがこないのは、自分は法華経の行者ではないからか? という疑問を抱きます。
「この疑いはこの書の肝心、一期の大事(命に代えて大切なこと)」として、この疑問の答えをお経の中に模索します。
そして、迫害に遭うことこそ法華経行者の証であり、諸天の助けが来ないのは清算すべき前世の事柄がある、という結論にたどり着きます。やはり法華経の行者であった、と確信を得ての悦び極まった時のこのお言葉です。
「目の前が真っ暗になる」という言葉があります。強いショックを受けた時の表現ですが、強いショックで身体の血流が一時的に悪くなり、結果、目の神経の血流も減るため、一瞬目が見えにくくなるのは医学で証明されているそうです。
それならば「目の前が明るくなる」と嬉しい時に表現する時には、先程と逆のことが身体の中で起きていて、それが大聖人の『開目抄』のタイトルに結びついたのか、と感じました。
いつ命を落としても不思議ではない過酷な状況において、ひたすら学ぶことで、真理を発見し、目がくらむほどの幸せを感じ、さらに命がけで修行する覚悟が湧いてこられたのではないかと思います。