日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より解説者の役職・所属寺院名などは掲載当時のもの
南無妙法蓮華経と唱うるならば悪道をまぬかるべし
解説:学林教授・大久保 本修寺住職 田中 靖隆
南無妙法蓮華経と唱えるならば悪道に堕ちることはありません
文永三年(一二六六)一月、大聖人が四十五歳の時に著された、『法華題目鈔』からの一節です。誰に書かれたかははっきりしていませんが、念仏信仰をしていた女性へあてた手紙とされています。
この『法華題目鈔』には信心という言葉がくり返し出てきて、その大切さを述べています。この一文も前後合わせて要約すると、法華経の意味もわからず、説かれている教義を知らずとも、信心を持って一生懸命に唱えれば仏になることができる、と書いてあります。
さらに信心の大切さを説くため、須梨槃特という、仏さまの弟子の話を書いています。彼は鈍根第一といわれ、物覚えも悪くお経も全く覚えられませんでした。仏さまは布を渡し、「ホコリよ、なくなれ」と唱えお掃除に励みなさい、と教えます。この教えを一心に信じ、来る日も来る日も一生懸命お掃除をつづけた結果、一度汚れがつくとなかなか落ちないのは人間も同じだということを悟り、普明如来という仏になることができた、というお話です。
信心は大きな力を生みます。そして、その力はよいことにも悪いことにも使えます。人の信心を利用し、他者への暴力へ変換することもできます。
何を信じればよいのか見極めることも、人生を生きる上での大切な知恵の一つである気がします。
何があっても信じられる教えや人がいない人生は、真冬の夜に知らない道を明かりもなく、薄着で歩くように危険で寂しいものです。
心の中に、疑いもなく信じることのできる教えや人がいる人は、いつでも穏やかな安定感があるように思います。
私たちもそのような心境になりたいものです。頭の中で考えることも大切ですが、「南無妙法蓮華経」と唱えること、一心に何ごとかをつづけること、それが信心の第一歩だと思います。