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日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より解説者の役職・所属寺院名などは掲載当時のもの

経のままに唱うれば まがれる心なし

出展:妙密上人御消息(昭定一一六六頁)
解説:学林助教授・岡崎 長福寺住職 牧野真海

経のままに唱うれば まがれる心なし

 最近は携帯電話(専らケータイと書くらしい)やパソコンの普及によって、自筆の文章や手紙を他者に送ることはめっきり減りました。
  つまり私たちは、毎日の他人とのコミュニケーションにおいて、相手の肉声・肉筆に触れる機会よりえも、電子的活字で情報を得、機械的言語の表層のみでお互いの意思伝達を済ます方が多くなっています。
  かくいう筆者もまた聖訓カレンダー解説にあたり、初稿・二稿は原稿用紙に書きなぐり、推敲(すいこう)・添削を経て宝塔編集部に送る最終原稿はパソコンで活字清書しています。そのほうが誤謬(ごびゅう)も少なく、正確に編集者に筆者の文章が伝わるからです。
  しかし、かつてケータイもワープロもないころは、電話といえど肉声で話し、肉筆で手紙やメモや文章を書いていました。すると心情や体調の毎日の微妙な変化が葛藤(かっとう)を生じ、その微かな変化は、幽(かそ)けくも相手に伝わり、その上で受け手は返答・返信を考えました。それが日本人の美点ともいえます。しかし顧みればそのような解釈は、時として自分に都合の良い曲解(きょっかい)を招きかねません。それをふまえ、大聖人は先人の法華経理解をこう評しました。
「太刀に顔をうつせる者、円(まど)かなる面(おもて)をほそながしと思うに似たり」
痩身(そうしん)鏡という鏡があります。その鏡は、本当の自分よりも背が高く、またスマートに映ります。しかし、それは幻影にすぎません。
  大聖人のお言葉は、まさしく現代の私たちにも通じるのです。
  法華経こそが直身(じきしん)鏡(正しい教え)であり、ゆがんだ鏡(爾前経)に惑わされることなく、お題目を唱えましょう。

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