日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より解説者の役職・所属寺院名などは掲載当時のもの
我慢偏執の心なく南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者也
解説:門谷東生
このおことばは法華初心成仏抄の末尾の一節です。建治三年(一二七七)大聖人さま五十六歳のとき身延においてしたためられた御書と伝えられています。「法華初心成仏」とありますが「法華」は私たちの信ずるところの経であり、「初心」とは私たち凡夫のことを示しています。
したがって私たち凡夫は、お題目を唱えることが成仏への道になるということになります。
私たちは、ただひたすら余念をまじえず南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱えていれば、自身の内なる仏。即ち仏性が呼び起こされてくるのです。ご本尊に向かって一心にお題目を唱えるということは、いさまざまのものに執着している凡夫の心を捨てて本仏にすべてをお任せする姿です。そうするとき仏さまにすべてを任せ切ったからっぼの心に、本仏の徳が自然に譲り与えられると大聖人さまは説いておられます。
お題目の意味合いが理解できなくても私たちは一心に南無妙法蓮華経と唱えるだけでいいのです。それは母乳を飲む赤ちゃんが、母乳に含まれる養分の構成など知らなくても自然に成長するようにと大聖人さまは申されています。
世間の知識・才覚を必要とするものではありません。いたずらな才能はかえって逆効果を生むことがあります。お題目を唱えさえすれば、必ず本仏の救いにあずかることができるという無二の信心をもって南無妙法蓮華経と唱えることが大切なのです。