• ホーム
  • 法華宗(陣門流)とは
  • 法華宗の行事
  • 法華宗寺院

日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より解説者の役職・所属寺院名などは掲載当時のもの

明かなる事日月にすぎんや 浄き事蓮華にまさるべきや

出展:四條金吾殿御返事(昭定四八四頁)
解説:学林助教授・岡崎 長福寺住職 牧野真海

明かなる事日月にすぎんや 浄き事蓮華にまさるべきや

 文永八年(一二七一)五月、大聖人は喜びの中にありました。門下随一の「サムライ信者」四條金吾から、妻の懐妊の報せが届いたのです。
  金吾夫妻は熱心な法華宗信者で、とくに金吾は大聖人の法華経本門信仰を弘める上で重要な存在でした。今月の聖訓のご文章の続きに、
「法華経は日月と蓮華なり。ゆえに妙法蓮華経と名く」
  とあります。そして誕生した女児に大聖人は「月満御前」と命名されました。
  すでにお気づきになった読者の方もいらつしゃるでしょう。今月の聖訓は一月の聖訓『月満御前御書』の直前に認められたお手紙なのです。
  四條金吾夫妻はながらく子宝に恵まれませんでしたが、金吾が四十二歳で妻の懐妊を知った時の喜びは、如何ばかりだったでしょうか。
  大聖人もそのうれしい報告に応えて最大級の讃辞を述べられます。
「幸なり幸なり。めでたしめでたし」
  お日様やお月様のように明るく、汚泥から咲く蓮華のように、清らかな人に育ってほしい。そんな願いが込められているご文章です。
  しかし、喜びもつかの間、わずか四か月後に龍口法難・佐渡流罪という理不尽な弾圧が、日蓮門下に襲いかかるとは誰も予想していませんでした。
  大聖人も四条金吾も、一時の安穏をゆるされた時期の書簡です。

一覧に戻る

上へ戻る