日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より解説者の役職・所属寺院名などは掲載当時のもの
我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう
解説:学林教授・大久保 本修寺住職 田中 靖隆
私たちはただこの五字を信じ唱えるだけで、お釈迦さまが得た悟りを自然に譲り与えていただけるのです。
今月のお言葉は、文永十年(一二七三)に佐渡で著された『観心本尊抄』からです。この御書は、法華宗の奥義「一念三千」が説かれている日蓮大聖人三大部の一つです。
この一念三千の考えは、法華経の二番目のお経「方便品」に説かれている「諸法の実相」という考えを根本に、組み立てられています。
これも非常に難解な教義ですが、村上日宣聖人が昭和三十四年に書かれた『法華宗読本』に心に染みる説明が書かれていたので、許可を戴き参考にしたいと思います。
「諸法の実相= あらゆるものの、ありのままの姿」は「十如是」という、十の事象が等しく関係し合い、成り立っています。十如是とは、相(外見)・性(性質)・体(形体)・力(能力)・作(作用)・因(習因)・縁(条件)・果(結果)・報(習因から出た結果の蓄積)、本末究境等(相つまり外見と結果の蓄積は一致する)の十項目です。私を例にあげてみます。
田中靖隆の顔(外見)で、少々怒りっぽい性格(性)を私の身体(体)にもっています。怒りを我慢する力(能力)もありますが、我慢できる時(作用)とそうでない時があります(習因)。怒ると家人の叱責・説得・報復にあうようになり(縁)、なるべく怒らず穏やかに過ごそうと努めます(結果とその蓄積)。そうすると顔も穏やかになります(外見と結果の蓄積の一致)。例があまりにも凡庸だとお叱りを受けるかもしれませんが、私は今こう理解しました。そしてこのような段階、努力をつづけることが大切だと信じております。
そして、この十如是は大聖人曰く、国土世間含め諸法(あらゆるもの)に及びます。
誰でも他者や社会、国土と関わらず生きていくのは不可能です。それぞれが縁(条件)となったり、巻き込まれたりしてよいことも悪いことも、いろいろなことが起こります。
よい時にも有頂天にならず、悪い時にも静かに淡々と、そして生きている限り、自分もどなたかの縁になれるよう、心して過ごしていこうと思っております。