日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より解説者の役職・所属寺院名などは掲載当時のもの
日蓮は少より今生のいのりなし 只佛にならんとをもふ計りなり
出展:四條金吾女房御書(昭定四八四頁)
解説:学林助教授・岡崎 長福寺住職 牧野真海
今月の聖訓は、『立正安国論』の中でもとりわけ核心部分とされるご文章です。
当時の日本は、鎌倉にある幕府で北条氏が執権として政治を司る、いわゆる鎌倉時代。鎌倉にも、京の都にも、奈良にも絢欄豪華な仏教寺院が甍を並べ、あたかも日本の国全体が仏教に帰依しているかのごとき偉観を呈していました。
しかし、表大路を一歩裏に入れば、貧しい庶民たちの粗末な小屋が軒を寄せ合い、天災・地変・飢謹・疫病で死んだ骸(むくろ)が巷にあふれ、略奪強盗は日常茶飯事という、酷い現実があったのです。
大聖人はこうした日本の表の繁栄と、裏の困窮の矛盾に疑問を抱かれ、真実の仏教の研究に打ち込まれた結果、「日本は仏教が栄えているようだがそれは見せかけにすぎず、釈尊の真実の教え(実乗)である法華経が軽んぜられているためにこのような悪世になっている」との結論に至りました。大聖人は、正法たる法華経を立てる(立正)ことが国家を安泰ならしめる(安国)道であることを諌言すべく幕府に送りましたが、北条執権は冷淡にもこの大聖人の書を黙殺したのです。
しかし、大聖人はその後も怯むことなく幕府に、また民衆に「法華経こそが正法である」ことを説き続けたのでした。